愛の反対は無関心。

愛の反対は無関心。

マザー・テレサの有名なことば。

「愛の反対は無関心である」

人にとって「無関心」(=関心を持たれないこと)はもっともつらいことなのかもしれません。

逆の言い方をすれば、「関心」を持ってもらえることは「報酬」です。

お金以外の報酬で「成長」や「刺激的な出逢い」や「仲間・居場所」など多様な報酬がありますが、根底的なところで重要なのがこの「関心」なのかもしれません。

みなさんは周りに「関心」をしっかり払えていますか?
みなさんは上司や同僚、部下に「関心」をしっかり払えていますか?

「関心」は「想う」ものではなくて「払う」ものです。

何事も「想う」だけでは何も起こりません。

「想ったことを行動にする」この行動こそがここで言う「払う」になります。
「関心を持っている」だけではダメで、「関心を示す・払う」ことがとっても重要です。

D・カーネギーは有名な著書『人を動かす』で「誠実な関心を寄せる」ことの重要性について説いています。
人にとって「関心」ほど大切なものはないのかもしれません。
逆に「関心」を示せていないということは、相手につらい想いをさせているかもしれません。

よく「管理職に必要な能力、成果を出す力とは何か」とい聞かれます。
テクニカルな部分では、「話し方」や「聞き方」といった話があるかもしれない。
褒めたり叱ったり、数字を見たり、交渉力や政治力にもそれなりのレベルが求められるでしょう。

だが、たくさんの会社、現場を見てきて思う。

管理職の能力の中核は「人への関心」です。
人好きでなくてもよい。人への信頼がなくてもよい。ただ、「人への関心」は絶対に必要な事項である。

以前あるIT業の人事評価面談に同席していた時のこと。
高いパフォーマンスを出した部下に対して、上司が高評価を伝えると、彼は怪訝な顔をした。

「何か不満があるのか?」と上司が聴くと、彼は「あっさりしてますね。」と言った。

 彼は、その後しばらくして、会社をやめた。

「急に虚しくなった」と同僚に言って。

彼はおそらく、ねぎらいの言葉が欲しかったのだ。

 心理学者のミハイ・チクセントミハイ氏は「関心を持たれていること」は人にとって非常に重要な事だと、子供の例を挙げている。
子供は両親が自分に何かを期待しているということ、そしてもしその期待に添わなければ、ある特別な結果が生じるということを知らなければならない。

しかし彼らは同時に、何が起ころうとも両親の自分への関心には疑問の余地が無いことを認識していなければならない。
期待に添えないことで、失望されたり、叱られたりすることは子供にとっては必要な過程だ。
だが、失望や叱られたりするよりも、もっと重大なのは「関心を失われてしまうこと」である。

このように、上司に求められることは、「部下の一人ひとりへの関心」に尽きる。
人間への関心がある人物は、たとえ怒鳴ったり、人として未熟であっても、それなりの人望を集めることができる。

パナソニックの創業者、松下幸之助の腹心であった江口克彦氏は、松下幸之助の「人への関心」について、つぎのようなエピソードを紹介している。

ハーマン・カーンという、著名人が来日し、滞在中に松下幸之助と面会することになった。
予定日の10日ほど前のこと、松下幸之助と雑談していると、突然「ハーマン・カーンと言う人はどういう人か知っているか」と聞かれた。

「アメリカのハドソン研究所の所長で、未来学者です」と答えると、松下は、頷きながら、「そうか」と一言。
ところが翌日も「ハーマン・カーンと言う人はどういう人か知っているか」と、同じ質問をされた。
「また同じ質問?」と思いながら、全く同じ回答をすると、松下幸之助も、昨日と同様に「そうか」と言った。

そして、その翌日もまた、全く同じ質問。同じ答。
江口氏は、なぜ同じことを連日3回も聞くのか、と、ふつふつと腹がたったそうだ。

ところが松下幸之助を見送りながら、江口氏は突然「何回も同じことを聞かれているということは、他の情報をよこせ、ということではないか」と感じた。

すぐに本屋に行き、ハーマン・カーンの著作を読みレポートを作り、カセットテープにその内容を吹き込んだ。翌日、松下幸之助がまた同じ質問をしようとした時、調べたことを必死で報告し、レポートとカセットテープを渡した。

松下幸之助氏は熱心に聞き、質問もしてくれた。

そして、その翌日。

翌朝、車を迎えドアを開けると、降りてきた松下が私の前に立って、私の顔をじっと見つめる。
思わず身体が硬直、直立不動していると、松下は、なおも私の顔を見つめながら「きみ、なかなか、いい声しとるなあ」と言った。

その瞬間、私は、身が震えるほど感動した。その言葉が、昨日渡したテープを聞いた、ということだけではなく、よく気が付いたな、よく調べてくれたな、内容もよかった、さらに、テープに吹き込んでくれた、ありがとう、ということなど、すべての思いを込めた一言であると直感した。

そして松下が、自分の思いを気づくまで、辛抱強く、質問を重ねてくれたんだということ感じた私は、そのとき、ああ、この人のためなら、死んでもいいとさえ思った。

この記事こそ、上司と部下の関係の本質を表現している。

江口氏は松下幸之助の「自分へ対する関心」に始終興味を持っている。
松下幸之助に興味を持ってもらえないときには動揺し、興味を示してもらえれば、心の底から感動する。
人間とは、かくも「上位者の自分への関心」に右往左往するものなのだ。
したがって、人に興味がない人は管理職になってはいけないとも言える。

「好き」でなくともよい。

「本心」である必要もない。

「研究対象」という程度でもいい。

だが「人への興味」を示さなければ、その時点で管理職たる資格はないと言える。

そして人に関心のない管理職は、職場に不満と絶望を振りまくだけの存在となるだろう。

「愛の反対は無関心である」 大切な相手に関心を示せているか、こういう機会にぜひ一緒に考えてみましょう。

(2022年2月7日)



人と組織が伸びる資料を入手