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原因と結果の法則とは?
「原因」と「結果」という言葉は日頃からよく耳にする言葉だと思います。
起こった結果に対して原因は何かと考えることは、私たちにとってごくあたり前の行動になっています。
ジェームズ・アレン著『原因と結果の法則』
「原因」と「結果」を法則としてまとめて著したのが、19世紀のイギリスの作家であるジェームズ・アレンです。
彼は作家となる前は大企業の秘書として働いていましたが、レフ・トルストイの書物に啓発され著作に専念し、「原因と結果の法則」を出版しました。
「原因と結果の法則」は自己啓発書の原点と言っても過言でなく、
デール・カーネギー
アール・ナイチンゲールなど
多くの偉人にも大きく影響を与えました。
結果には必ず原因がある
「結果は原因によって生まれるものである」は原因と結果の法則で大前提になります。
ジェームズ・アレンは私たちの人生はある法則に従って創られていて、私たちがどんな策略を用いようとその法則を変えることはできないとしました。
つまり、結果には必ず原因があることはたとえ天変地異が起きたとしても事実としては変えることができないということです。
思考1つで人生が変わる?幸せになるポイントは?
原因と結果には法則があり、それは何が起ころうとも変わらないのです。
私たちは小さい頃から学校や家庭で「原因と結果」について考えさせられる機会を多く与えられてきました。
だからこそ、当たり前のように結果があれば、原因を考えるという思考回路ができているのです。
ジェームズ・アレンの考える原因
しかし、ジェームズ・アレンの原因の考え方と私たち自身の考える原因は少し違います。
私たちは結果に対して上手くいかなかったことを他の誰かのせいにしたり、自分の失敗を運がなかったと片付けてしまったり、逆に成功した人を運が良かったからだなどとすることもしばしばあります。
たとえ百歩譲ったとして、原因は自分にあると頭ではわかっていても自分の行った原因について深く考える人はなかなかいないのではないでしょうか。
あるいは自分の周りの環境のせいにすることもあります。
もしかすると環境のせいにして原因を深く考えないことが多いかもしれません。
自分に起こることの原因はすべて自分にある
ジェームズ・アレンは自分に起こることの全ての原因は自分にあるとしました。
これは言い換えると、全ての原因は内にあるということです。
ジェームズ・アレンは次のように書いています。
自分の現在の環境は自分の過去の行動の積み重ねの結果として生まれています。
行動は思考から生まれるのです。
つまり「過去の自分の考え」という原因が「今の環境」という結果を生み出しているのです。
上手くいかないことや不幸を環境のせいや運などの変えようのない原因だと考えると全く解決しませんし、また同じようなことが起こってしまいます。
これでは成長しません。
同じ失敗を起こし、また同様に悩むのが目にみえてしまいます。
幸せになるポイントは原因を自分の考えに求める
幸せになるポイントは、原因は自分の考え方にあると思うことです。
自分の考え方に原因があると考えれば、考え方を変えるだけで良いのです。
正しい考え方が正しい結果を導いてくれます。
成功や幸せを生むのは自分の考え方にあるのです。
考え方1つを変えるだけで、自分の人生を少しづつ変えることができるかもしれません。
ビジネスで役に立つ?
原因と結果の法則はビジネスにおいて欠かせない考え方です。
もちろんここでは、ジェームズ・アレンが指摘している原因をうちに求め、自分の考え方を変えるという意味で欠かせないのです。
ビジネスで思い通りに行かないことはしばしばあります。
むしろ思い通りに行くことのほうが少ないのが現実です。
ビジネスで成功する人とそうでない人の違いとは何でしょうか。
違いの1つに考え方が少なからずあると思います。
ビジネスでなかなか成功しない人は考え方が消極的な場合が多いです。
リスクがあり、努力しても成功しないのではないかと考えます。
成功する意図は考え方が積極的
もちろんこれは誰にでもある心理的思考であり、リスクマネジメントとも捉えられますが、成功しない人の習性として思考がここの段階で止まり、次のアクションを起こそうとしません。
あらゆる予想の結果から、面倒であるため行動を起こさないのです。
この一連の思考や行動に気づかずに、ビジネスで成功しない人は、環境のせいなど原因を外に求めがちです。
一方ビジネスで成功する人は、リスクはあるが実際に努力し行動してみないと結果はわからないと考えます。
さらには、上手くいけばきっと成功するに違いないと考えます。
つまり、考え方が積極的なのです。
ビジネスで成功するために、自分の考え方を変え積極的に行動するだけで、もしかしたら自分のアイデアでイノベーションを起こせるかもしれません。
思考で人は変わる
原因と結果の法則では結果は自分の中にあり、原因を内に求め、思考や行動を変えていくことで結果が変わるとしました。
ジェームズ・アレンの言葉に以下のようなものがあります。
あなたは自分の考え方一つで、自分の人生を破壊することも、素晴らしいものに作り替えることも出来るのです。出典:原因と結果の法則
自分の考え方1つで人生を変えることは出来るのです。
まずは、ジェームズ・アレンの言うとおり、結果に対して自分の周りを取り巻くものに目を向けるのではなく、原因を自分の内に求め、向き合うことから始めてみませんか。
千葉科学大学での講義-DAY3-
2022年2月27日 千葉科学大学 社会人大学院生に向けたロジカルコミュニケーション演習3回目。
今回はアサ―ションについての授業を行いました。
職場内の人間関係に限らず私たちは家族を多くのはじめ多くの人と関わり社会を生きています。
例えば仕事をする中で、気の合う人、合わない人、様々なタイプの人がいます。
自分の思いや考えとは違うタイプの人が自分の上司になった時、話しかけてもろくに返事もしてくれなかったり、何を言っても否定されたり、他の人と比べられモチベーションが下がったり、中々思いが通じないと、どのように関わればいいのかそれはそれは悩むことでしょう。
今回も事例を出しながら授業を進めました。
そんな中で、日頃抱えている各々の想いがそれぞれ噴出しながら時間が過ぎていき、自分をわかってもらいたい。理解してほしい。相手が変わることをどこかで望んでいる雰囲気が漂っていました。
問題が起きた時、上手くいかないとき、その矢印はどこに向けられるのでしょう。
大体は自分以外の相手に向けられます。
それでは解決に至ることは少ないのです。
相手が変わってくれないなら、または押さえつけられる状況だと、段々意見も言わずそのまま時が流れていく、そして、自己主張はせずストレスを抱え苦しむ人が多く存在します。
そこで、アサ―ションの出番です。
アサーションとは、相手の考えを大切にしつつ、自分の主張はきちんと述べるコミュニケーションスキルです。
大事なことは、自分の考え方や捉え方です。
まずは、自分の思考がどう捉えているのかです。
物事の捉え方によって投げかける言葉が変化します。
相手を大切に思う気持ちと自分の主張もしっかり伝えるのであれば、今までとは違う伝え方をすることで、相手にわかってもらえることが増えていくと思います。
相手を変えることよりも、自分が変わることでより良い人間関係が築けるということを理解してもらえた時間だったらよかったと思います。
一生のうちで、人に出逢う確率は0.0004%らしいです。
それは奇跡の出逢いです!
折角出逢った目の前の人と、より良い関係構築ができたら嬉しいですね。
千葉科学大学での講義-DAY2-
2022年2月5日、千葉科学大学 社会人大学院生に向けたロジカルコミュニケーション演習へ行ってきました。
今回は印象力に関しての授業で実践トレーニングが盛りだくさんの内容です。
はじめる前に今日、守ってほしいルールとしてマイナス発言をしない!もし、マイナスな発言をしてしまったら、必ずプラスの言葉を続けて発言することが約束です。と伝えましたが、実践の課題が出るたびに、「え~」「できない~」「むずかし~」等の声が次々と聞こえてきます。 笑
そのたびに、「あれ?今、え~!って聞こえたけど?」気のせいだよね?と聞いていくと、生徒さんも照れ笑いしながら、「えーと、え~、楽しいなぁ~」などとプラスの発言に切り替えることで和気あいあいとした雰囲気になり、とても楽しい時間の中で実践授業が進んでいきました。
振り返ると、日々の中で意外とマイナス発言を繰り返していることに気づくものです。
意識することでマイナス発言が減っていけば、気持ちも思考も前向きになります。
普段使っている言葉がどんな影響を自分や、周りに及ぼしているか感じた時間でもあったと思います。
また、人に与える印象が、人間関係、信頼関係を構築していく中でとても大事であること、特に第一印象の大切さを実感していただいたのではないでしょうか。
普段自分がどのような表情で人と接しているのか鏡を通して、また、ビデオ撮影し、カメラに映る自分の姿をみて振り返ると、表情や声のトーンに至るまであまり良い印象を人に与えていない自分の姿に驚き、それと共に実際の映像を見ることで言い訳できず受け入れざる得ない状況でした。
問題はできていないことではなく、良い印象を与えていないのなら、何をどのように直していけばいいのかを知り、理解し出来るようになるまでトレーニングして身に付けることです。
授業では一人ひとりの話す癖や、表情の癖などを伝えトレーニングしながら時間が進んでいくと、最後の授業の時間では笑顔が素敵な皆さんに変身しており、良い印象を与える側になっていました。
もし、現在の職場で雰囲気が良くないとか、人間関係に悩んでいたとしたら、一つの方法に過ぎませんが、印象力に注目してみるのはいかがでしょう。
何かを変えたい、あの人を変えたいと望むのであれば、まずは自分から変わることです。
自分は与える側に立っているのだろうか、矢印をちょっと自分に向けてみるといいかもしれませんね。
今回もあっという間の1日でした。
ありがとうございます。
愛の反対は無関心。
マザー・テレサの有名なことば。
「愛の反対は無関心である」
人にとって「無関心」(=関心を持たれないこと)はもっともつらいことなのかもしれません。
逆の言い方をすれば、「関心」を持ってもらえることは「報酬」です。
お金以外の報酬で「成長」や「刺激的な出逢い」や「仲間・居場所」など多様な報酬がありますが、根底的なところで重要なのがこの「関心」なのかもしれません。
みなさんは周りに「関心」をしっかり払えていますか?
みなさんは上司や同僚、部下に「関心」をしっかり払えていますか?
「関心」は「想う」ものではなくて「払う」ものです。
何事も「想う」だけでは何も起こりません。
「想ったことを行動にする」この行動こそがここで言う「払う」になります。
「関心を持っている」だけではダメで、「関心を示す・払う」ことがとっても重要です。
D・カーネギーは有名な著書『人を動かす』で「誠実な関心を寄せる」ことの重要性について説いています。
人にとって「関心」ほど大切なものはないのかもしれません。
逆に「関心」を示せていないということは、相手につらい想いをさせているかもしれません。
よく「管理職に必要な能力、成果を出す力とは何か」とい聞かれます。
テクニカルな部分では、「話し方」や「聞き方」といった話があるかもしれない。
褒めたり叱ったり、数字を見たり、交渉力や政治力にもそれなりのレベルが求められるでしょう。
だが、たくさんの会社、現場を見てきて思う。
管理職の能力の中核は「人への関心」です。
人好きでなくてもよい。人への信頼がなくてもよい。ただ、「人への関心」は絶対に必要な事項である。
以前あるIT業の人事評価面談に同席していた時のこと。
高いパフォーマンスを出した部下に対して、上司が高評価を伝えると、彼は怪訝な顔をした。
「何か不満があるのか?」と上司が聴くと、彼は「あっさりしてますね。」と言った。
彼は、その後しばらくして、会社をやめた。
「急に虚しくなった」と同僚に言って。
彼はおそらく、ねぎらいの言葉が欲しかったのだ。
心理学者のミハイ・チクセントミハイ氏は「関心を持たれていること」は人にとって非常に重要な事だと、子供の例を挙げている。
子供は両親が自分に何かを期待しているということ、そしてもしその期待に添わなければ、ある特別な結果が生じるということを知らなければならない。
しかし彼らは同時に、何が起ころうとも両親の自分への関心には疑問の余地が無いことを認識していなければならない。
期待に添えないことで、失望されたり、叱られたりすることは子供にとっては必要な過程だ。
だが、失望や叱られたりするよりも、もっと重大なのは「関心を失われてしまうこと」である。
このように、上司に求められることは、「部下の一人ひとりへの関心」に尽きる。
人間への関心がある人物は、たとえ怒鳴ったり、人として未熟であっても、それなりの人望を集めることができる。
パナソニックの創業者、松下幸之助の腹心であった江口克彦氏は、松下幸之助の「人への関心」について、つぎのようなエピソードを紹介している。
ハーマン・カーンという、著名人が来日し、滞在中に松下幸之助と面会することになった。
予定日の10日ほど前のこと、松下幸之助と雑談していると、突然「ハーマン・カーンと言う人はどういう人か知っているか」と聞かれた。
「アメリカのハドソン研究所の所長で、未来学者です」と答えると、松下は、頷きながら、「そうか」と一言。
ところが翌日も「ハーマン・カーンと言う人はどういう人か知っているか」と、同じ質問をされた。
「また同じ質問?」と思いながら、全く同じ回答をすると、松下幸之助も、昨日と同様に「そうか」と言った。
そして、その翌日もまた、全く同じ質問。同じ答。
江口氏は、なぜ同じことを連日3回も聞くのか、と、ふつふつと腹がたったそうだ。
ところが松下幸之助を見送りながら、江口氏は突然「何回も同じことを聞かれているということは、他の情報をよこせ、ということではないか」と感じた。
すぐに本屋に行き、ハーマン・カーンの著作を読みレポートを作り、カセットテープにその内容を吹き込んだ。翌日、松下幸之助がまた同じ質問をしようとした時、調べたことを必死で報告し、レポートとカセットテープを渡した。
松下幸之助氏は熱心に聞き、質問もしてくれた。
そして、その翌日。
翌朝、車を迎えドアを開けると、降りてきた松下が私の前に立って、私の顔をじっと見つめる。
思わず身体が硬直、直立不動していると、松下は、なおも私の顔を見つめながら「きみ、なかなか、いい声しとるなあ」と言った。
その瞬間、私は、身が震えるほど感動した。その言葉が、昨日渡したテープを聞いた、ということだけではなく、よく気が付いたな、よく調べてくれたな、内容もよかった、さらに、テープに吹き込んでくれた、ありがとう、ということなど、すべての思いを込めた一言であると直感した。
そして松下が、自分の思いを気づくまで、辛抱強く、質問を重ねてくれたんだということ感じた私は、そのとき、ああ、この人のためなら、死んでもいいとさえ思った。
この記事こそ、上司と部下の関係の本質を表現している。
江口氏は松下幸之助の「自分へ対する関心」に始終興味を持っている。
松下幸之助に興味を持ってもらえないときには動揺し、興味を示してもらえれば、心の底から感動する。
人間とは、かくも「上位者の自分への関心」に右往左往するものなのだ。
したがって、人に興味がない人は管理職になってはいけないとも言える。
「好き」でなくともよい。
「本心」である必要もない。
「研究対象」という程度でもいい。
だが「人への興味」を示さなければ、その時点で管理職たる資格はないと言える。
そして人に関心のない管理職は、職場に不満と絶望を振りまくだけの存在となるだろう。
「愛の反対は無関心である」 大切な相手に関心を示せているか、こういう機会にぜひ一緒に考えてみましょう。
有能上司・無能上司。
「この人から仕事をとったら、きっと誰一人としてこの人の元には残らない」
そんな強烈な記憶を未だに残すあの上司の元で働いていた時の自分と、
今の働いている自分の姿を重ねるとどうしても考えずにはいられない。
「社員を活かすも殺すも上司次第なのではないか?」もちろん全ての責任を押し付けるわけではないですが、それほどの影響力があるという事だけは、見てきたものや経験してきたことが自分自身に証明している。
まだ若い20代の頃に勤務していたその会社では、自分自身が一体なにと戦っているのかすら分からなくなっていた。
到底理解できない上司の行動や言動。
あきらかにキャパを超えた業務。
女性だからという理由で決して認められることのない成果。
セクハラやパワハラ。
擦り減っていく自分自身。
無くなっていくやる気。
もう、思い出せばきっとキリがない。
確かに、得たスキルは大きかった。だが、もし今過去に戻れたとして、希望の年収でその会社に入れたとしても、私は決して「そこは選ばない」
無能な上司は部下の心を殺すのだ。
向上心・やる気・熱意・努力・愛社精神。
これらは絶えずあふれ出ているものではない。その大部分は引き出されているものなのである。
自分の本当の実力が知りたくて、飛び出したその先に待っていたのは、
有能な上司は部下の心を生かす(活かす)のだ。という答えだった。
なぜそんな風に思えたのか。
おそらく、出会った人が「理想の上司」に当てはまっていたからではないか。
では、「社員から見た理想の上司・ダメな上司」とはなんなのでしょうか。
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理想の上司とは、
「人として尊敬できること」
そもそも、「尊敬すべき所が見つけられない」「尊敬するに値しない相手」に対して、いったい誰が「この人の元で仕事がしたい」「言う事を聞いてついて行こう」と思うのでしょうか。
どんな理由よりもまず、「人として尊敬できる部分」がなければ、到底、「上司」とは認められないのではないだろうか。
「決断力があること」
実務の状況や部下の仕事ぶりを見極めた上での「適切」なアドバイス、そして、熱意は胸に抱くだけではなく、物事を前に進める「決断力」がなければ、部下を導くことはできないのではないか。
「広い視野を持っている」
狭小な視野でしか物事を見る事ができない人間は、部下を正当に評価することができないし、物事を断定的にしか見ず、決めつけたりするものである。
また広い視野とは、柔軟に物事をみれる事ともイコールであると考える。
自身の考えやこだわりだけにとらわれず、物事を柔軟にみることができ、幅広い見地から物事を俯瞰できる上司であることが求められるべきである。
「人間力」
どれだけ仕事ができる人でも、「人間力」がなければ誰もついてこないのです。
人として当たり前の事もできないような人材は、そもそも人の上にたつ資格がないのではないでしょうか。
では逆にダメな上司とは一体何でしょうか。(理想の上司の対極も含まれるとは思いますが)
決断力に欠ける
最悪な上司は、問題に対して徹底的な分析をするのに、暫定的な決定を行っては、何度も検討しなおします。対照的に、素晴らしい上司は即断即決、一度決めたことを容易に覆すことはありません。
「決断できないのは根本的な失敗である」と理解しているからです。
忍耐力がない
最悪な上司は、気が短く、社員にすぐ当たり散らします。
対照的に素晴らしい上司は、感情を抑え、社員がより重大で多くの間違いを犯さないために威圧的な態度は避けます。
外面だけがいい
最悪の上司は、スポットライトの前に立ちたがり、チームの成功を独り占めしようとします。
対照的に素晴らしい上司は、実際に仕事をしてくれた人たちの努力なしに上司としての仕事は務まらない事を常に知っています。
融通が利かない
最悪な上司は、過去に成功した方法をいつまでも繰り返します。
それが現代では通用しないような古い話だったとしてもそれをやめようとはしません。
対照的に素晴らしい上司は、過去の成功を慎重に扱います。
何故なら「今日の成功を導いた軌跡が必ずしもこれから目指そうとしているゴールまで導いてくれるとは限らない」からです。
他人のせいにする
最悪の上司は、仕事がうまくいかないと、他者を名指しで批判したり責任を転嫁しようとします。
対照的に素晴らしい上司は、チームの失敗がリーダーシップの失敗であることを認識しているので、チームに責任を押し付けることはありません。
責任をとるのは自身の役目であると認識しているからです。
感謝をしない
最悪の上司は、自分を「自らの努力によって」成功した人間だと思い込んでいます。
なぜなら、これまで一生懸命仕事を頑張ったからです。
素晴らしい上司は、今ある自らの成功は自身を支えてくれた人たちのおかげであることを常に意識しています。
理想で語ることは簡単です。
人間ですから、上記で述べた要素を全て満点に兼ね備えたパーフェクトな上司など存在しません。
この人のようになりたい。
この人の元で仕事をしたい。
学びたい。
近付きたい。
成長したい。
認められたい。
ほめられたい。
力になりたい。
単純にそんな風に思えた時、それはとても素晴らしい上司に出会っているのかもしれません。
あなたにはそんな上司はいますか?
あなたが上司になった時、どんな上司になりますか?
あなたはそんな上司になれていますか?
あなたがなりたくなかった上司になっていませんか?
無能な上司は部下の心を殺すのではなく、部下の心を生き生きと活かす。
それが上司の一番のやりがいになり、部下が上司の心を育てることになります。
そしてそれこそが上司である自分自身を活かすことになるのです。
上司が部下を育てる。そして部下が上司を育てる。
この原理原則を忘れてはいけません。
千葉科学大学での講義。
2022年1月23日。
この日はありがたいことに昨年に続き、担当の先生よりお声がけいただきまして、
非常勤講師として千葉科学大学で社会人大学院生に向けて講義をさせていただきました。
担当の先生と二人三脚で3回に渡り終日行います。
前回に引き続き、今回もコロナの影響でZOOMにて生徒さんと向き合いました。
授業の内容はロジカルコミュニケーション演習になります。
1回目の講義はエニアグラムです。
一人ひとり診断しながらどのタイプに属するか、またそのタイプ別の特徴、気質はどのようなものなのか例題や課題に取り組みながら理解してもらえたのではないかと思います。
現状の課題も含め、エニアグラムでいうところの変わらない気質がどのような形で影響を及ぼし日頃出てくるのか、タイプによって考え方や表現の仕方が違い、参加者同士で自分とは違う回答に驚いたり、面白がったりしながら、楽しく授業が進み、あっという間に時間が過ぎていきました。
1日を振り返っての感想では、明日から早速職場で対応してみます。と意気込んでいる生徒さんや、授業のはずなのになぜか気持ちが軽くなった。と発言する生徒さんもいました。
自分のことは知っているようで意外とわかっていないことが多く、自分のことがわからないのですから、他者のことはもっとわからないですよね。
今回は自分を知るきっかけになったり、多くの人の集まり、コミュニティの中で生きる私たちは、一人ひとりみんな違うんだ、ということを認識し理解することで周りとの関わり方が見えてきたのではないかと思います。
社会人になっても人間関係に悩み、その解決策がわからず苦しむ人を多く見聞きします。
今回の生徒さんも対人関係で悩み苦しむ時間があったようですが、授業を通じて明日への希望を胸に笑顔で過ごすことができて良かったです。
誰かと関わり、その人が何かに気付き前を向いて進んでいく姿を見るたび、本当に教育の大切さを実感します。
次回は2月5日です。
私も学ぶ機会をいただけてとても感謝しています。